鉄道趣味と言えば車両が王道といった感があるけれど、如何せん鉄道車両というものはその寿命は3~50年程度であるがゆえに、当然創業時の物は消えて久しい。
一方で地上設備なんかは更新期間が長く、時には開業時のトンネルやら橋梁やらがまだ残っていたりする。 駅舎もその一つではあるけれど、木造建築ゆえの劣化に耐えがたかったのか、開業以来の駅舎というのは徐々に姿を消しつつある。
この傾向は故郷の仙台周辺でも強いのだが、現住地の東海地方でもそんな動きがあるので、木曽路に残る明治築の木造駅舎をめぐってみようと思い立った次第。(最近引っ越しの片付けばかりで遠出したかったというのもある)
まずは木曽路の入り口、坂下駅。余談だが、東北民としては”ばんげ”と読みたくなる。
ここは明治41年築の木造駅舎が現在も使用されている。煙抜きのような越屋根が特徴的だが、何の跡なのだろうか。 跨線橋も明治築らしく、本屋側には鋳鉄製の支柱が残っている。
駅前の街並みも木曽路らしい落ち着いた佇まい。
2,3番線の待合室には木製のベンチも残っていた。
こちらも明治41年築。 一見昭和年間築の駅舎と大差ないようにも見えるけれど、プロポーションの違いや軒下のちょっとした意匠に明治時代らしさが感じられる。
駅舎とは関係ないけれど、野尻宿はあまり観光化されていない街並みと、背後にそびえる木曽駒が非常に見ごたえがあり、鈍行でふらっと降り立って散策してみたい宿場である。
3駅目は時間の都合もあって一気に北上し、鳥居峠も越えて贄川駅へ。 こちらも宿場の近くに設けられた駅である。
建築年は前の2駅から遅れること1年の明治42年。
野尻駅同様、軒下の意匠が明治駅舎らしさを感じさせるが、こちらは出札口の装飾(と言っても簡素ではあるけれど)も残っていた。
改修はされいるようだけれど、雰囲気を壊さないよう配慮された色遣いが嬉しい。
駅前のにある水場を流れるのは、雪解け水だろうか。
こんこんと流れ出る水に山奥に訪れた春を感じつつ、帰路についた。