ましゅうの工作室

ぶどう色な客車の製作記とか

お盆のあれこれ

鉄道模型メーカのキット製品によって擦り込みを受けたわけではないものの、長期連休は帰省するのが恒例で、今回もGWの帰省に続き、寄り道しながら帰省してきた。とはいえここ数年の社会情勢もあって、お盆の帰省は数年ぶりとなった。

いわゆる帰省ラッシュが首都圏起点の流れが主であることを考えると、首都圏を経由することは得策とは言えない。C51の幻影を追ってC57の走りを見たいという事もあり、今回は関東地方を避けて信越方面へ抜け、会津経由での帰省となった。

お盆前最終日の退勤後、荷物を車に積み込み北上。塩尻で一泊し翌日昼前には阿賀川河畔でSLばんえつ物語を待ち構えていた。

暗めの背景だが、目論見通り真夏の光線にボイラ上部がハイライトされて、形がしっかり出てくれた。細身のボイラに大動輪のライトパシなので、サイドビューが良く映える。(C51なら給水配管が浮き立ってもっと格好良いだろうに)

残雪の残る飯豊連峰を横目に汽車を追って東へ。

定番の場所ながら一ノ戸川橋梁へ行こうかと思ったものの、お盆とあってだいぶ人が多かったので、別の場所へ。

後打ちだけれど、夏らしさは出たと思う(自己満)。

その後は喜多方でラーメンを食べつつ大峠栗子峠経由で宮城へ。

厚樫山の麓を登って宮城県に入ったものの、実家へは直行せず、阿武隈川沿いへ。

逢隈駅付近に残る常磐線の旧線跡を見に行った。

現行線の車窓から垣間見えるトンネル跡は鉄道用地外から様子を伺うのは難しい状態だったものの、用水路を跨いでいた橋台跡は御覧の通り。

帰りも混雑を避けて新潟経由。せっかくなので、荒砥にある明治20年代製の橋梁を見てきた。もとは東海道本線で使われていたものであるが、車両の大型化に伴い架け替えとなり、負荷の軽い地方線に転用された結果当地に架けられたものらしい。

明治20年代当時の車両限界は現在のそれよりも小さいためか。トラス上部の形状が独特なように感じる。

その後宇津峠を越えて新潟へ抜け、高速に乗って帰路へ。

台風接近の中ではあったが、日本海は美しくきらめいていた。