ましゅうの工作室

ぶどう色な客車の製作記とか

くびき野レールパーク訪問

海の日3連休に頸城レールパークの公開があるらしい。

普段の3連休であれば(そもそも会社的に3連休ではないことが多いけれど)、混雑を避けてあまり出歩かないものの、以前から訪ねたいと思っていた保存鉄道の公開日で車両も動くとなれば…と、上越へと赴いた。

三河からレールパークのある頸城まではクルマでも電車でも5時間ほど。いずれにせよ日帰りでは移動時間の方が長くなってしまうしという事で、前日に寄り道しながら上越方面へ向かい、一泊することにした。

寄り道とはいっても、途中の長野県内にある保存車はD51ばかり…という事で、木曽の風景と絡めながら中央西線の列車を撮りながら向かう事にした。

まずは上松付近の棚田で。

本当は貨物狙いだったが、ロクに調べずに行ったので、遅延しているのを運休or通過済みと勘違いして撮り逃したのは内緒である。

続いて奈良井へ向かい、木立の合間から宿場を見渡せる場所で特急しなのを。

このあたりでまあまあ良い時間になってきたので、下道をダラダラと走り、上越妙高駅前のビジホに辿り着いた。

3連休とあってホテルは満室だったが、決して多いとは言えない周囲の飲食店に宿泊客が集中し、夕食に行こうにもどこも満席だったのには閉口した。

翌朝はレールパークへ行く前に455・413系の快速を撮影。

455系の生き残りとはいえど、改造車であまりディデールを追う撮り方をしても仕方ないので、ローズピンクとクリームの塗装であることが分かる程度の撮り方にしてみた。

あくまで主目的は頸城なので、455の方は深追いせず、梅雨明けを思わせる強い日差しの下、百間町のくびき野レールパークへ向かった。

レールパークで付近在住の大学時代の後輩と合流し、中を見学する。

レールパークの紹介は公式ホームページなりを見ていただくとして、保存車は木造車ばも多く、よくもまあ残っていたものだと思うものばかり。

車種もバラエティに富んでおり、乗車体験列車も軽便鉄道らしさを感じるミキストだった。

雑多につながった車両群のなかでも、こじんまりとバランス良くまとまった2軸客車ハ6と、長い車体をトラスロッドで踏ん張って支えている様なホジ3の対比が面白い。

この手の保存鉄道としては、なかなかの長編成を先頭のDC92のみで牽引するためか、発車はエンストギリギリで苦しそうな感じだった。

車両が入る車庫も当時のもので見事な小屋組み。

とまあ、ここまで書き綴ってはいるものの、当日の暑さは尋常ではなく、昼休みにコッペルの屋外展示があることは知りつつも、早々に音を上げて退散してしまった。

どうやら乗車体験の内容は毎回違うようなので、そういう意味でも再訪が必要なようだ。

JNMA 2023

年々何か買いに行くというよりは、お世話になっているメーカさんへのあいさつ回りが主になりつつあるイベント関係。とはいえ、そういう事こそイベントでしかできないし、お祭りには参加したいという事で、(明治村のSL重連運転と、どちらに行くか迷ったけれど)今年もJNMAに行ってきた。

今年は本業の人事異動の絡みで月曜休みは無理そうという事で、JNMA当日は早々に切り上げる代わりに前日入り。最近移転したIORI工房さんの直売店へお邪魔して、ナハフ14100を里帰りさせてきた。

ここのところ私用での上京が無かったため、ようやく作品持参での受賞・記事掲載の報告ができた。

直売所は移転で前より駅から遠くなったものの、周辺には見ごたえのある建物が多いので、退屈せずに歩ける。

一夜明けてJNMA当日は開場直後の混雑を避けるべく、午前中は都内の模型店や書店を回り、待機列が解消した13時ごろに会場へ。

購入したのはアルモデルの客車を中心に4点ほど。

なかでもマロネ29は側外板の継ぎ目の表現が秀逸で、完成見本の見事さに惹かれて購入。

kyakusya.web.fc2.com

素直に組むか、それともスロハ38に化かすかが悩みどころ。

アルモデルの担当氏にも受賞の報告がてらオハ35の仕掛を見せたり、前述のマロネを含む新作2点の完成品見本を見せて貰ったりしながら旧客談義をしてきた。

IORI工房の明治22年式は、前日に直売所にお邪魔した際は、出店準備中で夜逃げ前状態(主宰談)だったのでイベント会場で改めて購入したもの。

近年の工作ベースからすると、既に来年までには消化できないのは確実。こうして順調に積みキットは増えていくのであった。

オハ35をつくる(2)

前回から1か月空いてしまったけれど、前回の側板に引き続き、妻板(外妻)の製作について。

Nでは妻板の折れ曲がりを真面目に再現している製品自体少ないけれど、オハ35の妻板の折れ曲がり方には2種類ある。

(写真はどちらもオハフ33だが)1枚目の昭和16年度までのグループは妻板の後退角の起点が貫通路両脇の柱(幌柱)から40㎜ほど外側にあり、プロポーションに優れるキングスなどのプラ製妻板はこのタイプである。一方、今回のキノコ折妻タイプ含め昭和17年度以降は、2枚目のように柱のすぐ外側に起点が変更されている。

最初に作った車体の時は見逃していたものの、今回改めて作図し直した際に気付いたので、再現することにしたのだが、製作上問題なのは貫通路の開口部の直近に折れ曲がりが来てしまう点。

角のシャープさを求めて後退角が付いた部分を分割した3分割構造とすると、角度が安定せず、更には開口部周辺が強度不足になりそう。かと言って1枚ものの折り曲げ構造にすると、(角はPカッターで裏から掘るとして)開口部周辺がキレイに折り曲がらない可能性が高い…ということで、今回はケガキだけして妻板を折り曲げ、貫通路部分を開口することにした。

材料のケガキは下図のようにCADで型紙データを作成し、ペーパーボンドでプラ板に貼り付け、その上をデザインナイフでなぞって写し取った。

型紙データには外形も書き込んであるが、折り曲げ寸法のバラツキを考慮して、最終的な外形は貫通路を加工後に調整することにしたので、そのために治具を作ってみた。

下写真は治具を使った妻板の外形加工前後の様子。

まだ幌柱や妻板の補強(申し訳程度にはなるけれど)の取付が残っているが、ひとまずは山を越えたと思う。

ナハフ14100 TMS誌No.978掲載


タイトルの通り、昨年秋に完成させて昨年のTMSコンペに出品したナハフ14100が、今月発売の鉄道模型趣味誌(No.978)に掲載されたので、そのご報告。

製作のいきさつや詳細は(ぜひ購入していただいて)記事の方を見ていただくとして、ブログでは裏話的なのを。

このナハフ14100、前々から部品類の準備は進めていたものの、コンペの題材と決めたのは昨年の5月ごろ。そこから急ピッチで制作を進めるも、本業も忙しく度々休日出勤があるとなっては進捗が思わしくなく、一旦組んだ車体の箱組精度が悪く車体を作り直しというオマケが付いて車体が箱になったのは9月上旬だった。

もっともただ組み直したのではなく、お蔵入りになった車体で手すりや艤装品の取付穴を割り出しておいた。それを基に再製車体は箱組前に先に開口しておくことで、よりすっきりと短時間で仕上がるようにしている。

そんなこんなで仕上がったのが、締め切り前最後の土曜日。普通なら日曜に最終確認して発送…というところだが、急遽の早朝出発深夜帰宅の出張で叶わず。翌日月曜の出勤前に会社近くのコンビニから発送したのであった。

ここまでギリギリで仕上げたためか、はたまた素材の物性に関する知見不足か、1月のIMON渋谷店での展示では屋根が変形し、掲載前の手直しを申し出る一幕も…。反省点の多い作品と感じるとともに、新素材を扱う難しさを痛感した次第。

それでも、コンペ自体は初の入選(というか努力賞以外は初)と、講評でのコメントも含め高い評価を頂けたのは、ギリギリまで妥協せずに取り組んだ結果として受け止めたいと思う。

結果が伴ったというのは大きいのかもしれないけれど、前回コンペでの欠席も経て、コンペは参加することに意義があるなぁ…と感じたので、また来年も何か出そうと思う。

オハ35をつくる(1)

工作記事の(ようやくの)第1弾は、旧型客車の最多数派、オハ35の自作から始めようと思う。前々からtwitterを見ている方はご存じの事と思うが、少し前にTMS誌に発表した急行青葉用客車の続編として作る1両である。

NならGMキットはいざ知らず、大手2社で出しているのにオハ35を自作とは酔狂な…と思うかもしれない。とはいえ作ろうとしているのが戦後製造のいわゆるキノコ折妻タイプであり、某大手メーカの完成品では窓枠の表現や凹凸の取り方など、どうにも気に入らない部分があり、完成品加工は見送り。

キングスのキットは入手困難な事と、鋼板屋根の表現方法で試したい手法を思いついたため、プラ板からの自作で制作することにした。

オハ35じゃなくて(台車がTR40の)スハ42だけれど、大体こんなイメージの客車である。

プラ板自作で行くと決めて制作に取り掛かり、数年前に出来上がったのがこの車体。

プロポーションや窓枠の加工精度は慎重に作れば問題なさそうだったものの、外板にt0.25のエバーグリーン製プラ板を用いたところ、t0.4の内張りとの溶着で歪を生じてしまった。補修するか思案しつつ放置していたものの、目指す年代が新製直後の昭和26年ごろという事で結局没とした。(とはいえゆくゆくは晩年仕様で再起させようかとは思っている)

この反省を生かして凹凸の寸法の取り方は変えずに外板をt0.4としてみた。つまりは内張りと外板を溶剤系の接着剤で接着した際に、その収縮で綱引きした結果外板が負けて凹んでいたなら逆にすれば歪まないはずという理屈。

最初窓枠部分をt0.25ではめ込んだところ、窓柱窓枠の高低差が0.1㎜強となり、凹凸感が弱くなりすぎたため、没になった車体と同等の寸法になるように途中からt0.12でやり直している(この場合高低差は0.2㎜程度になる)。

試作を作ったからまだ1ヵ月程度しか経っていない段階ではあるが、目立った歪みが無い一方で内張りには凹みが見られるため、効果ありとみて良さそうである。

試作ではプロポーション面の検証も行っている。図面や実車採寸結果では腰板高さが5.5㎜ではあるものの、fine scaleの試作では狭く、従前の5.6の方が好ましかったので修正している。恐らく実物は煽り気味で見ることが多いからであろう。

そんなこんなで作り方が定まったところで本番の車体に取り掛かった。

単純なプラ板の積層車体ではあるが、ウィンドシル、ヘッダは薄板の貼り重ねではなくその部分だけ外板の厚さを変えて板厚差で表現することで凹凸の均一さとシルヘッダの真直度を確保している。

雨樋はt0.5のプラ板から長方形の一角だけ大きめに各面取りしたような断面の帯板を作って表現。試作では凹凸感が弱かったので、0.1㎜程凹凸が大きくなるよう修正している。

平日もチマチマ作業を進め、ようやく両側板が形になったので、次は妻板に移ろうかと思う。

新緑の観察

東北というか、寒冷地の新緑には温暖地域にはない美しさがある。

大学のとある同期は、その色彩美をCMYKだといったけれど、それだとデジタルな感じがしてしまうので言い換えるならば、東北の春は減法混色 とでもなるだろうか。

ともあれ、心惹かれるものを形にして手元に置きたいと思うのはモデラーの性で、まずは実物の観察をと、先日のストラクチャウォッチングの前段で宮城山形県境の鍋越峠へ行ってきた。

鍋越峠は標高500m程度の峠であるが、それなりに緯度が高いとあってこの時期は新緑と残雪のコントラストが美しい。

木々の緑も鮮やかな萌黄色になっているものから、まだ淡い芽吹きかけのものまで。

 

尾花沢から赤倉へ抜け、国道47号を宮城側へと戻っていると、並走する陸東線がすぐ来るらしいという事で駐車帯に車を突っ込んで1枚。

陸東線は2両のイメージがあったけれど、減車されたのか元々なのか、単行でやってきた。

 

その後県境を越えて一迫へ。このあたりは県内有数の穀倉地帯の米と栗駒山の水で仕込むとあって、良い酒ができるに違いないという理屈。

その道中の景色だけれど、この時期はどこもかしこも新緑に彩られて絵になる。

一方で、模景にするとなると日光が当たった時の見え方や光の透け方、芽吹きの段階による表現の差など、植生の表現にいろいろ研究の余地がありそうである。

レールバスと遊ぶ

今年は久々に南部縦貫鉄道レールバスが動くらしいという事で、実家から弾丸日帰りで見に行って来た。

実はレールバスが保存されている七戸には4年前にも行っていて、車庫内を見たりしていたのだが、その時は日程が合わず車両が動く姿は見ることができなかった。

仙台からならその気になれば行けるし…などと思っていたら疫病でそれどころではなく、気づけば4年も経っていたのだった。

 

実家を朝7時過ぎに出発し、東北道→八戸道と北上すること約4時間で七戸へ到着。

七戸駅は4年前と変わらぬ姿だったが、運転日とあって、前回と異なり随分賑わっていた。

早速乗車整理券を求めて改札を抜けると、レールバスが2台縦列で止まっていた。

太陽光線の下で見るレールバスは庫内の時とはまた違った印象を受ける。

30分ばかり順番待ちをして体験乗車へ。

変速のショックと、2軸車らしいダイレクトな振動が体を揺さぶる。

レールバスというだけあって、基本的はMTのバスと同じではあるが、アクセルはペダルではなくハンドルで、細いロッドが床下へ繋がっている。シフトレバーも右手で操作かつ先頭になるときだけ差し込まれ、後になるときはレバーの根元が他方のシフトレバーに合わせてヒョコヒョコ動く。

当然これだけインターフェイスが違えば、操作感としてはバスとは別物であり、シフトミスが発端とはいえ、エンストする場面も。

とはいえ加速は軽やかで、片道200mにしてはまぁまぁ速度の出る運転だった。

乗ったり撮ったり1時間ほど楽しんだところで一旦昼休みとなったものの、お昼時はどこも混みそうという事で、七戸の町内を散策。

13時半頃に駅に戻り、お布施代わりにグッズを買ったり、写真を撮ったり。

運転回数は多いのでシャッターチャンスは多く、見出しの流し撮りも数度粘って、新緑の鮮やかなところとうまく重なるようにした。

撮れ高に満足したところで、国道4号を南下し帰路へ。せっかくなので、五戸に保存されている南部鉄道(こちらは縦貫がつかない方)の機関車を見に行ってみた。

加悦で保存されていた頃にも何度か見ているけれど、その頃から大きくは変わっていないようである。

見ての通り周囲にはまだ囲いがあり、これから更に保存環境を整えていくようだ。加悦が閉園となったのは残念ではあるが、新天地を見付けたこの機関車にとって、五戸が安住の地となることを祈りたい。