ましゅうの工作室

ぶどう色な客車の製作記とか

林鉄サミットに行く

木曽で開催された林鉄サミットに木曽モジュールクラブのモジュールレイアウトが展示されるという事で、上松へ車を飛ばして見てきた。

会場のひのきの里総合文化センターへ到着したのは11時前、早々に松本製作所氏に遭遇。こういう時は顔が利く有識者が居た方が有難いので、勝手に氏についていきながら展示されているレイアウトを見るつつ作者の方に話を伺う。

 

 

展示されているレイアウトは、いずれもシーナリーのレベルが高く、軽便祭不参加で不足していたナロー分を補う事が出来た。橋梁を上下反転して組む技法など、参考になる話も聞けたので、その内真似させて貰うつもりである。

お昼時が近付いて会場が混み合ってきた頃合いで会場を離脱し、ちょうどよい頃合いだったので近くで中央本線の貨物列車を撮影。

道の駅で昼食をとった後、午後は実物をという事で赤沢の自然休養林へ。木曽の山中とはいえ、10月上旬とあってまだ紅葉には早いがなんとなく色づいてきている感じではあった。早速森林鉄道記念館へ行くと、丁度ボールドウィンが庫外に引き出されていた。

丁度バスツアーと被ってしまったらしく、体験乗車は混雑していたので、乗る方はあきらめて撮影へ。

次は紅葉の時期に来たいなぁ…などと思ったものの、今年の秋は色々予定がありそうで、また来年かな…。

オハ35を作る(6)

前回に引き続き床下関係で、今回は端梁周辺の工作。

カプラを台車マウントとすることが多いNゲージの旧客では省略される事が殆どだけれど、模型を見た時に四隅にあたる部分だけにアイキャッチとして捨てがたいものがある。キングスのプラパーツの他、プラ量産品でもこれを表現するパーツはあるけれど、前者は彫が浅く、後者は諸々バランスがおかしい他、踏段受と一体になった構造が表現できず、ちぐはぐな感が否めないので、今回も自作する事とする。(後者は実のところ、そもそも製品自体のプロポーションがイマイチなので、手に取ったことも無いけれど)

今回作るのは電暖改造前なので、端梁に付くのは突当座とつなぎ箱、エアホース、解放テコ位。
つなぎ箱は既にロスト部品があるので、面倒なのは突当座という事になるが、リブを薄く見せつつ鋳造できる形状を思いついたので、こちらもロストを起こすことにした。

さて、オハ35の突き当座の実物は鋳造品タイプ(写真上)と、製缶品タイプ(写真下)がある。

1両の中で混用している例があるかは知らないけれど、両者は特段区別なく使われておりあまり法則性はないらしい。割合としては鋳造品が多く、スハ32等にも転用できるので、今回は鋳造品タイプを選択した。

さて前述のリブを薄く見せる方法だが、テーパー状に加工することで板の端面だけ薄く見せるというもの。十字の部分が悩ましかったのだが、洋白板から十字の部品を切り出して断面を仕上げることでクリアした。

連結器の復元ばねは羽子板ダイスでM0.6のねじを切り、断面が半円になるよう削ったもの。

これを原型にして、(4)で作った雨樋漏斗と一緒にロスト屋さんに送って複製してもらった。

今月頭に複製品が届いて、端梁を切り出したりして妻面の表情がどうなるか様子を見てみた。

幌枠はアルモデルの切妻客車用縦樋に付属するもの、幌はトレジャータウンの旧客用を奢った。

色々付いていない部品もあるけれど、それなりに納得のいく表情にはなったと思う。

オハ35を作る(5)

そろそろ床下に入りたいところだけれど、台枠は(3)で製作した部品と一緒にロスト屋さんに出した部品が仕上がるのを待ってからにしたい所もあるので、先に床下機器を進めようと思う。

今回作るのは下写真の電暖トランスの右隣にぶら下がっている発電機吊。オハ35 2001の物なので、台枠形式が違うが、構造的にはほぼ同じものである。

車軸発電機が付くとこんな感じ。こちらはオハフ33 2424の物

床下機器は大方ロスト部品になったものの、発電機吊は板金組立の構成故に鋳造には不向きで、t0.1の洋白板からの切り出しで制作した。

さて素材から部品を作る際に必須な、金属板へのケガキ方法に関して、某氏から質問を受けた。あまり他の人がやっていない方法なので、これを機にちょっと詳しく書いてみようと思う。

複雑な形状の部品の場合、ノギスで寸法を当たってケガいていたのでは手間がかかりすぎる。そこで型紙を使ってケガキを行うのだが、強固に貼り付けできた方が、線がズレにくい。そこで型紙の貼り付けにはサラサラ系の瞬間接着剤を用いている。

型紙そのままでは端面のヤスリがけ時に紙が荒れてケガキ線が見辛くなるので、型紙の上からカッターナイフ等でなぞって洋白板に形を写し取る。下の写真はカッターナイフでケガキ線を入れた後の状態。このようにケガキ線を入れていく間に接着が剥れることもあるので、ケガキ線を入れる順番にも配慮がいる。

さて、型紙が残っているとケガキ線を見るのに邪魔なので、写し取れたら型紙は除去してしまう。金属板ごとはんだごてで加熱するか、ライターで炙ってしまえば瞬間接着剤が剥れてケガキ線だけが材料に残る。

この工程が肝と言えるのだが、当然火気を扱うので火災には注意が必要なのと、煙が目に入るとバルス直後のムスカ大佐になるので、こちらも気を付けなければならない。

ケガキ線に沿って糸鋸で切り出した部品を、アルモデルのアングルやドリルレースで作ったハンドルを組み合わせてできたものがこちら。

型紙にも一部描き込まれているが、複雑な形状でもケガキが容易なので、エッチングキットのような形状の部品を切り出すことができ、比較的容易に位置決めが可能となる。

今回は車軸発電機が無い電灯子車として作るつもりなので、アングルの長さ調整は残っているものの、これでほぼ完成となる。

雪の木曽路

大学までを過ごした仙台は雪が少ないと言えども、年に数回は十数センチの積雪があった。

三河は生活するうえでは積雪は全くなく有難いものの(冬タイヤ要らないし)、天邪鬼なもので、冬になっても一度も雪景色を見ることが無いとなっては、季節感が狂う気がしてしまう。クルマを車検に出していたこともあって、今週末の三連休に南信が雪予報になったのをこれ幸いと、木曽へと足を延ばした。

名古屋から特急しなのに揺られる事一時間、中津川で下車して、普通列車に乗り換え木曽路をを北上。中津川ではまだ雨だったが、南木曾の手前で雪に変わる。

須原の待避線には貨物列車が待っていた。

こちらも対向の特急を待ってしばらく停車。須原の辺りは積雪は無かったものの、雪の影響か特急は数分遅れでやってきた。

列車が上松付近まで来ると、すっかり車窓は雪景色となる。昼時になったという事もあり、木曽福島で列車を降りた。この天気でわざわざ来る観光客は少ないのか、インバウンドの外国人が目に付く。

列車の時刻を確認すると、もうじき特急しなのが上ってくるようなので、写真でも撮ろうと、中津川方面へ線路沿いに歩く。久々に新雪を踏む感触を味わう。

中央本線木曽川沿いの街並みを俯瞰する場所を見つけ、待つこと数分、しなのは音もなくやってきた。

程よく体が冷えたところで駅前の食堂で鴨そばと熱燗を頂く。

そばを食べ終わると、名古屋方面のしなのに丁度良い時間。カップ酒を買い込んで短いながらも雪見酒を楽しみつつ帰路へ。

途中、鶴舞駅近くの古書会館で開催中の古本市で、ほろ酔い気分で昔の雑誌を購入し、家路に就いた。

 

オハ35を作る(4)

4回目の今回は戦後型に話を戻して屋根の話。

戦後製のオハ35の一部は鋼板屋根を採用しており、継ぎ目に溶接ビードが残っている。GMキットでも表現されており、上から眺める事の多い模型では良いアクセントになる事から表現することとした。実車では大井川鐵道のオハフ33469等が現存している。

鋼板屋根採用の背景として、当時の物資や熟練作業者の不足がある。屋根の鋼板についても全数を同じ大きさの素材で揃えられなかったためか、車両によって継ぎ目の位置に差がある。具体的寸法に関しては明確な資料は無いものの、工房ひろ殿に伺ったところによると素材寸法はフィート単位であることから、900mm(3ft)前後と1200mm(4ft)前後と推定される由。先人に直接教えを乞う事ができるのはSNSの有難いところである。なお、最終的には4ftを基準にタイトルカットの画像と車体長から寸法を割り出した。

ちなみに生田緑地のスハ42は3ftタイプの現存車とみられる。

さて、模型にするにあたって悩ましいのが、ビードをどう表現するか。木製屋根が原設計なので、荷重を負担しない屋根鋼板の板厚はさほど厚くは無いはずで、したがってビードもそれほどは太くないはず。実際、写真でも突起があるというよりは線が見える程度である。

とはいえ前述のGMキットや他の完成品と表現を合わせる事を考えると凸表現としたくなる。ということで、ランナー引き延ばし線の要領で引き延ばした半丸のプラ棒を貼って表現してみた。

丸以外の断面で引き延ばす技法は40年位前のTMS誌上で発表されていたもので、いつか真似しようと思っていたもの。

多少強調した表現としても、太さ0.2〜3mm程度にはする必要があり、そのための火加減が難しく、成功率3割はほど。数をこなして必要な量を確保した。

屋根自体はアルモデル(元キングス)のものを用いたが、表面のシボ加工はサンドペーパを掛けて消してある。

貼り付けは流し込み系でさっと。位置決めは張力を掛けて置くだけでは直線が出ず、マスキングテープを所定の位置に貼り付けてガイドにした。接着剤が染み込まないか心配になるが、シボ加工を消したこともあってか、テープをしっかりと貼り付けておけば問題無かった。

キニイラナイ病を発病して側板に怪しげな気配が漂いつつあるものの、屋根、側、妻が揃ったので、記事にもできない中途半端な状態の床下も、そろそろ形にしなければ…。

オハ35を作る(3)

前回から半年ほど空いてしまったけれど、その間もチマチマ進んではいたオハ35、急行青葉には3両必要という事で、戦後型以外にも丸屋根の中古品を確保していたのであった。

半鋼製客車の決定版的存在であるキングス製ではあるものの、唯一の不満が妻板のキャンバス押さえの立体感が物足りない点。個人の好みの範疇ではあるが、以前から計画を温めていたロストパーツを起こして解消を図る事にした。

キャンバス押さえ周辺を作り直すとなると悩ましいのが漏斗の造形。市販のN完成品を見ても及第点は一番古いオハ31くらい(※注:個人の感想)。16番の製品を見ていると印象の良い製品は漏斗の形状も特徴を捉えているだけに(特に工房ひろ系は流石の造形)、ちゃんとしたい所である。

実物はと言えば写真の通りの形状。

そもそも実物も型が複数あると思われ、すべてが同じ形ではないものの、図面集なども見比べてみると、円錐と楕円柱を滑らかにつないだような形状と分かる。

形状の把握ができたところで、洋白材等をドリルレースや糸鋸抜きして作ったのがこちら。

実はキャンバス押さえの原型製作は今回が2回目。前回は思いの外小さく仕上がってしまったため、今回はやや長めに作ってみたものの、その成否や如何に。

まきば線祭り

まきば線祭りというのをやるらしいと知ったのは、10月の軽便祭でもらったチラシ。

成田ゆめ牧場に軽便蒸機が動態保存されており、新造もされているとは聞いていたものの、車で行くとなると首都圏を通るのが億劫という事もあって、いまだに訪ねたことはなかった。

それでも「軽便好き・蒸機好きの方は絶対に来た方がいい」そんな公式アカウントの誘いもあって足を運んでみることにした。

住んでいる三河から成田まではクルマで4時間ほど。途中首都高を通るとあって到着時刻が読めないのではと思ったが、思った程の渋滞は無く、割合快適なドライブだった。

蔵王ハートランド位のイメージで居たので、諸々衝撃を受けつつ(田舎者)、牧場内に入ってまきば線へ向かうと既に大勢のギャラリーが。

10時過ぎの到着だったが、既に今日の主役たちは蒸気を上げ、祭のスタートに向け入れ替えをしていた。有火の機関車が7両とあって、蒸機の息遣いに囲まれる様な状況で理解が追い付かない。かつての蒸機全盛時代は、こんな光景が当たり前にあったのだろうか。

エアーロコになったとはいえ以前から気になっていたバーチカルボイラのマフ・ポッターのコンロッド周辺や、国内ではC53以来の3シリンダである9号機の弁装置の動作を間近に見て、百聞は一見に如かずだなぁ…と思ったり。

入れ替えを見ているだけでも飽きないが、このままだと昼飯を食べるのを忘れてしまいそうだったのでいったん離脱。ところがのんびりしすぎたようで、戻ったころには既に祭りのスタートである保存車両たちのパレードが始まっていた。

10両以上の機関車が動くとあって、次々に列車が走ってくる。ちょっとくらいシャッターチャンスを逃してもまあ次があるから良いかといったような状況で、(他の人の画角に入らないか気にしつつも)場所を移動しながら写真を撮る。

この日最大の話題は、東洋活性白土専用線1号機の復活。予備機だったこともあり、現役時代からほとんど動いていなかったとか。国産ながら国内では珍しい仏ドコービル社のコピーと言われており、フランス車乗りとしては親近感を覚える。

とはいえ客車好きとしては後ろに連なる旧井笠鉄道の客車が気になるところで、写真を撮るに飽き足らず、祭り後半の確実に乗れるタイミングで乗車。

ゴトゴト一周揺られて降りるとほどなくして、車庫に待機していた蒸機達がわらわら出てきて、蒸気機関車だけの8重連が出現。

軽便とはいえ国内に稼働状態にある蒸機が8両もある場所は他になく、良いものを見せてもらったなと感じた次第。

今回はイベントという事で人混みの中での撮影になってしまったけれど、今度は人の少ないタイミングで再訪してじっくり軽便鉄道の雰囲気に浸りたい。